7月22日・23日 水無神社例大祭 みこしまくり・花火大会
毎年7月22日・23日に行われる水無神社例大祭のうち、渡御祭の一部を「みこしまくり」といい、御輿を落とし、まくって(転がして)最後には壊してしまうという荒々しいお祭り。全国的にも珍しく、木曽の夏を盛り上げる『天下の奇祭』といわれています。
22日の夜には「花火大会」も行われ、木曽谷の山々に花火の音が木霊します。
祭りの流れ
1日目には『御神体』が、水無神社から御輿へと移されます。この白木の御輿は毎年新しく造られており、その重さは約100貫(400kg)もあります。
御輿は神社を出発し、天狗の装いをした『猿田彦の神』に先導されて町内を練り歩きます。周りではお囃子が賑やかに行列を盛り上げます。御輿の前後には『宗助・幸助』と呼ばれる2人の『精進』が付いて歩きます。
一行は町内を練り歩きながら、『心願』(赤ん坊を精進や枠持ち衆に抱いてもらって御輿の下をくぐらせ、その子の健康を願う神事)などを行ないます。
こうして御輿は1日目に町内の約半分を練り歩き、上の段地区にある『御旅所(おかりや)』で1晩を過ごします。
2日目、御輿は同じように町内の残りの半分を練り歩きます。
夕方になると、いよいよ最初の横まくり(まくるとは、転がすの意)が行なわれます。そして夜、「宗助!幸助!」の掛け声とともに、御輿はタテにヨコに豪快にまくられます。
このみこしまくりは祭りのメインとなっており、毎年多くの方が迫力ある『縦まくり』を見に訪れます。また、壊れた御輿の木片を拾って家に祀る(屋根に上げる)と災難除けになるといわれており、皆が競って木片を奪い合う光景も恒例となっています。
24日の未明までにまくられた御輿は、最後にはかつぎ棒だけになるほどまでに壊れ、神社に奉納されます。
祭りの歴史
平安時代の初期、飛騨の国(現在の岐阜県宮村)の飛騨一ノ宮『水無神社』へ、木曽から杣・匠仕事をするために宗助(惣助)・幸助の兄弟が出向いていた。
あるとき、一揆の戦乱で神社が戦火に見舞われようとしていた。信仰心の厚い2人は、神社の御神体を危険から守るため、それを御輿に納めて木曽へと運び出そうとした。
幾多の山、谷を越え、飛騨と信濃の国境の長峰峠まで来たとき、追ってきた村人が追いついてきた。村人との間で御輿は取り合いになったが、2人は互いに名を呼んで励まし合い、なんとか木曽まで御輿を運ぼうとした。
村人ともみ合い、押し合いをしている間に、御輿は肩から外れて地面に落ちてしまった。そこで2人は峠の上から御輿を転がしてまで、なんとか追っ手を逃れようとした。
そうしたもみ合いの末、御輿は無事木曽へとたどり着き、御神体は神社へ奉納された。木曽の人々は2人の兄弟の偉業を称え、歓迎したという。
そして今日、この故事にならって「宗助!幸助!」の掛け声と共に、御輿が豪快にまくられるのです。